第11回 知覚運動学習
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1. 感覚・知覚と運動との協応
科目「学習・言語心理学」に最も関連する科目は「知覚・認知心理学」
本科目全体としては「言語行動」を主題とすることも可能 言語行動も「感覚や知覚に基づいた行動」であることが分かる
対話場面であれば話すという言語行動
感覚や知覚に基づいた行動を同時にしている
身体の向きや移動
本章
2. 道具の利用ということ
心理学の歴史の初期から知覚運動学習が取り上げられている
概要
実験参加者1人
40週に渡って練習過程を観察して、作業の上達過程を検討
練習初期には大きな成績の上昇が見られる
その後は成績の上昇率が少しずつ下がっていく
途中から上昇が見られない
目隠しをしてフィードバックを与える条件
基準内の長さの線が書かれた場合には「正しい」
基準を超える線の場合に「間違い」
何も返さない条件とを比較して、フィードバックを与える条件でのみ練習効果が見出されたとしている
フィードバックについての議論は後述
現代にも通じる
筆記具と紙、モールス信号
人間にとって言語とは「心理的道具」であるばかりか、道具の中の道具、道具の王様であると言っている
言語行動「感覚や知覚に基づいた行動」
言語によって行動を制御するとまでも想定することができる 言葉を使って自分の描写する行動を制御する感覚がある
自分の身体を道具としている感覚と言えるかもしれない
自分の身体を道具として使いこなし、いかに美しい姿としてとして見せられるか
3. 制御ということ
初期状態から目標状態へ向かって適切に道具を操作していくこと
身体を動かす運動についての制御
人間を情報処理システムとして捉え、そのシステムへの入力から、適切な出力までの処理の過程とは、制御の過程として捉えることも可能である 制御は2つに区別できる
一方向の制御
フィードバックが組み込まれていない
閉鎖系とかの話になるのかな?mtane0412.icon 言語行動はフィードバックが組み込まれた閉ループ制御として捉えることができる
対話場面で相手の様子を見ながら言語行動を調整していくことはフィードバック
最初の制御システムへの入力に対応
新しい知覚運動を開始する際には、知覚痕跡は存在していないか、存在していても微弱
制御システムの機能に対応
新しい知覚運動学習について、その正しい運動の際の感覚を学習し、自分の運動期間の動きを協応させることを学習することも必要
4. さまざまな練習
知覚運動学習のの研究テーマの1つ
どのような練習方法が効果的であるか結論を下すことは困難
どれくらい複雑な動作の系列があるのか
性質の異なる動作の組み合わせがどれくらいあるのか
運動が一連の動作からなっている場合に、そのすべての動作をひとまとまりにして最初の動作から最後の動作まで練習し、それを繰り返す
そのような一連の動作の内の1つの動作を別々に練習していくこと
全習法と分習法を組み合わせて、要素数を少しずつ増やしていく
一定の練習毎に休憩をはさみながら練習を繰り返す
一般的にはこちらのほうが効果が高いと言われる
練習終了後一定時間を過ぎると成績が上昇するレミニセンスがあることも知られている 休憩を挟まずに練習を連続する
5. 保持と転移
一定の練習を繰り返して獲得された学習(技能)はどのくらい保持されるか 練習を繰り返す→想定される運動が同じであるということが前提
日常的な例: 自転車
先に練習して獲得した学習が、次の別の学習を促進する
先に練習して獲得した学習が、次の別の学習を阻害する
6. フィードバックの効果
「練習を繰り返す」とは単純に同じ動作を繰り返しているんではない
目標動作と、実際に行った動作とを比較して、差分を把握する
フィードバックの分類
練習している本人
本人は内的な感覚を持つことが出来る
その感覚に基づいて同じ動作をリハーサルしあり、言葉で表すこともできる
他人から言葉で何らかの評価として与えられる
知識の分類
目標と実際との違いを量的な情報で与える
Thorndike(1927)について
量的に、実際に引かれた線の誤りの量と方向を1/8インチ単位でフィードバックを与えた
関与している要因間のバランスに見合った適切なレベルでフィードバックを与える必要がある
量的KRの制度が高すぎたり、質的KRでも細かすぎる表現を使うと、練習効果が見られないとか阻害してしまうということも知られている
「正しい/間違い」「当たり/外れ」など質的な情報で与える
パフォーマンスとは、その課題を遂行している過程(process)である
ビデオ映像で記録したもの
動作や生理的状態の変化を示す情報
パフォーマンスについて言語によるフィードバックを使うことができ、叙述や命令という形をとることになる 正確には「自己の」「観察学習」
7. 知覚運動学習の理論について
様々な研究の結果を統一的に解釈するための理論が提出されてきている
熟達した技能に至る過程に関して、3段階を想定
課題の性質を理解する段階
フィードバックを利用したり練習方法を工夫したりして、いちいち言語化しなくても動作を実行することができるようになってくる
意識的に努力しなくても、自動的に動作を遂行することができる段階
技能の完成
たとえば、ゴルフのパッティング技能
打つ強さと距離との関係について法則なりルールを獲得することが大切になる
ここで、法則やルールをスキーマとして捉えることができる 8. 知覚運動学習の熟達とは
研究では操作化が必要であり、知覚運動学習の研究対象とした課題について、その目標値なり正解を設定しておく必要はある 根本的な限界
研究者はあらゆる領域で「専門家」や「熟達者」ではない
そもそも目標値なり正解を設定しておくことができるのか
Fitts(1964)の自動的段階に達したとしてもそれが最終段階ではないことは明らかであろう
Schmidt(1975)の「スキーマ」にしても知覚運動学習の熟達に応じて変化していくことは認めざるを得ないだろう
エリクソン・プール(2016)の議論
エリクソンはさまざまな領域の「専門家」や「熟達者」の研究を通じて、端的には上で書いた「プラトー」から脱して上の段階に進むのかを検討
1回1回の練習に真剣に取り組むということを何度も何度も繰り返して、初めて「プラトー」を超えることができる
熟達
熟達の程度を深める
以上の議論
熟達の範囲を広げる
異なる領域に挑む、スキルの数を増やしていく
こちらもある
学校における学習でも、職場における学習でも、ましてや、日常生活における学習でも、ある一定の熟達レベルにあるからこそ、それぞれの学習が問題なく営まれている
ごく自然に自分の得意な領域やスキルを広げていく、ということもしていると言える
練習の繰り返しによって、過去経験の履歴の中で、恣意的に何らかの関係が成立することによってパフォーマンスが上がるということ